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久留米を描く


KURUME MASTERS TALK第5回は、久留米出身の同世代画家対談です。2016年美術界の新人登竜門・芥川賞、直木賞とも称される昭和会展のグランプリ・昭和会展賞を受賞した、洋画家・吉武弘樹さん。昨年から春の院展に2年連続で入選、現在日本美術院研究会員の、日本画家・髙木梓帆さん。今回久留米市にある坂本繁二郎生家にて、初対面の2人から、絵との出合い、久留米の風景の話、これからの展望などの話をお聞きしました。

 

坂本繁二郎生家にて

 

髙木梓帆氏、髙:坂本繁二郎さん*¹は、小さい頃から石橋美術館*²に通っていたので知っていました。石橋文化センターには、移築された繁二郎さんのアトリエもありましたし。

吉武弘樹氏、吉:でもアトリエは常設展示ではなかったですよね。僕も自宅から近かったこともあり、『放牧三馬 』や『能面と鼓の胴 』など作品が色々展示されていたので、観に行っていました。

髙:もちろん青木繁さん*³の作品も展示されていましたし、凄い画家という前に、身近な存在でしたね。

*¹:坂本繁二郎。明治後期~昭和期の久留米出身の洋画家。「馬の画家」と呼ばれたほど多くの馬の絵を残した画家。青木繁氏とは小学校からの仲。

*²:石橋美術館。ブリヂストンの創業者石橋正二郎氏が郷里久留米市に寄贈した石橋文化センターの中心施設の美術館。2016年秋より久留米市美術館となる。

*³:青木繁。久留米市出身の洋画家。若くして日本美術史上に残る名作を描いた一方、28歳で早世する。代表作は重要文化財でもある「海の幸」

 

お互いの印象

 

髙:吉武さんは思ったより、優しそうな方だったので安心しました。プロフィールの写真がキリっとされていたので(笑)

吉:アー写*⁴なので(笑)。髙木さんにお会いした印象は、普通に福岡の街にいそうな現代的な方が、こういう風景画を描かれること事に驚きました。

髙:田主丸在住です(笑)。私は生まれが久留米市国分町で、すぐ福岡市の大橋に引っ越して、小学三年生まで過ごし、その後、親の転勤で佐賀に住んでいました。でも母の実家の田主丸町で、習い事もあったので久留米には小さい頃、毎週のように通っていました。

吉:僕は中学まで久留米市野中町で育ち、高校から長崎、大学で東京へ行きました。

髙:高校は長崎ですか?

吉:バスケットをやっていたので、長崎の高校へ、それまでは絵画には携わらず、運動ばっかりでしたね。

髙:高校まで体育会系とは意外ですね!

*⁴:アーティスト写真の略。アーティストの公式写真。

 

ダリとの出合い

 

髙:絵を描くきっかけは何だったんですか?

吉:母方の祖父の影響が大きかったのかもしれません。僕が物心つく前には亡くなっていましたが、祖父が趣味で描いた絵が家に飾られていて。

髙:私の実家も同じですが、家に飾られていると身近になりますよね。

吉:そんなこともあり、高校三年の美術の授業で、教科書に載っていたダリ*⁵の「十字架の聖ヨハネのキリスト」の絵を見たことに感銘を受けて、初めて描いてみたいと思いました。そして美術の先生に「こういう絵を描くには、どうしたら描けますか?」と聞いたら、「まずは芸大に行きなさい」と言われ。

髙:受験の時ですよね?!

吉:はい。それから芸大って何!?となりまして、先生から「では東京の予備校にいきなさい」と。

髙:それで東京に!?ダリのどんなところに?

吉:色と空間が綺麗でした。後から知ったんですけど、シュールリアリズムという、しっかりものが描いてあるのに不思議な世界ということに惹かれました。

ピカソ*⁶、マティス*⁷、のようにしっかり描くのではなく、形を崩すことが、自分には当時理解できませんでした。今は解りますが。

髙:聞かれること多いかもですが、いまの吉武さんの絵はダリの絵に影響受けられていますよね?あと好みも?

吉:はい。ダリの抜けていく空間は今でも好きです。展覧会があれば行っていますし、海外に観に行くことも多いです。日本にはダリの作品が中々ないのですが、福岡市美術館に大きな絵があるんですよ。

高:ポルト・リガトの聖母ですよね?

吉:そうです。そのダリの絵に惹かれ、予備校で基礎から学び始めまして、初めてデッサンをしました(笑)

髙:それにしても、よくご両親が許してくださいましたね。芸大は浪人が当たり前ですから。高校三年生での進路変更で東京の予備校を選択されたのは大正解ですね。

吉:東京を推して下さった、高校の美術の先生には感謝しています。その後は芸大に進学し、今に至ります。

*⁵:サルバドール・ダリ。スペイン生まれ、20世紀を代表する画家の1人。シュールリアリズムの代表的な作家として知られる。

*⁶:パブロ・ピカソ。スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。20世紀の芸術家に最も影響を与えた1人。

*⁷:アンリ・マティス。フランスの画家。フォーヴィスム(野獣派)のリーダ-的存在で、20世紀を代表する芸術家の1人。

 

日本画へ

 

髙:私は、ピアノの先生をやっていた母が、絵も好きだったこともあり連れられて美術館に行っていました。家にも絵がありましたし、小学生の時は絵画教室にも通っていました。自然な入りかた方なので、吉武さんと真逆ですね(笑)

吉:そうですね(笑)

髙:高校が公立では珍しい、普通校で芸術コースがある佐賀北高校に進学しました。

みんな美大志望で、日本画、油絵、彫刻、デザインを意一通り学び、進学の時はその中から専攻を選べました。

吉:いい学校ですね!

髙:日本画を専攻したのは17歳の時アメリカに一カ月ホームステイや、家族でのイタリア旅行など肌で異文化を感じた経験により、日本人としてのアイデンティティや日本で培われてきた文化に関心が向いたからです。

それまで美術は西洋文脈で学ぶ事が多く知らずと日本の芸術も外からの視点でみていました。でもアメリカでの交流から私たち日本人の中に息づいている感覚や共通認識にはっとなりました。

吉:きっかけとなった作品はありますか?

髙:琳派*⁸が好きで、俵谷宗達*⁹の「月夜に秋草図」を観た時、湿度を感じたんです。それから絵巻物文化からきている構成の仕方も新鮮に映りました。心理遠近法だったり、画面に内包されている時間だったり日本文化特有の概念に惹かれました。建築や庭づくり、また和歌をとっても、自然と共生しながら育まれた美の感性があります。吉武さんは日本画には?

吉:僕の場合、ダリの絵に感動して洋画を始めました。時間も時代、年代も違うのに感動する。自分も同じ様な感動を与えたいという思いもあったので、そこに日本画というか・・・

髙:入って来る余地がなかったんですね。ジャンルというより、ダリに感動したからですね。

吉:はい。人種を超えられるという洋画ってすごいなと。

*⁸:琳派。桃山時代後期におこり近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称。

*⁹:俵谷宗達。江戸時代前期に活躍した京都を代表する絵師のひとり。代表作として『風神雷神図』がある。

 

2つの転機

 

髙:私は画家の道へ進む転機が2つありました。1つが、中学三年の時に父が他界した事です。多感な時期に生死を感じる体験をしたので、芸術があることに助けられたというか、父が亡くなった後の絵に対する感性も、いい意味で変わっていきました。

もう一つが矢谷長治先生*¹⁰との出会いです。大学進学にあたり専攻に迷っていました。真面目な性格の方が多い日本画は几帳面ではない自分には向いていないのではと。

そんな時期、親子でお慕いしていた聖心女子大の鈴木秀子先生に相談した際「伊豆に山と呼吸を合わせて絵を描かれる本物の先生がいらっしゃいます。一度会いに行かれては」と矢谷先生を紹介していただき母と会いに行きました。

矢谷先生のライフワークとして絵に命を捧げていらっしゃるお姿を前にいろんな概念が変わりました。

吉:良い出会いでしたね。

髙:日本画は書道、武道などの道家などと同じ様に、一生修行という考え方があるんです。あの時期の作品が良かったなど波があるというより、老いてからが本番というか。精進って言葉は大げさですけど、一生通して携われるところに魅力を感じました。

吉:油絵にも髙木さんの様な、考え方で進んだ人もいますよ。

髙:はい。先に油絵の奥深さに出合っていたら、違っていたかもしれませんね。

吉:絵は一生表現できると言われています。極端な話ですが、描くための手がなくなっても、表現者としてどう生きていくかが大事なのでしょうね。対外的、対内的なのは別として、どう生きるのかを考えている方は多いと思います。

*¹⁰:矢谷長治。日本画家、1951年静岡県生まれ。永久不変のものを求め、その生命を描く孤高の画家。

 

コンセプト

 

髙:吉武さんは、絵の他に立体も作成されていますよね?

吉:はい。自分の作品が、粒子など何かが集合して形になり、朽ちて土に戻り、再び別のものになるというコンセプトなんです。油絵では1つ1つの点で描いていますが、立体ではその点を人の形や、ものに変え、それらが集まってこの世界が作られているという、縮小版の世界を作らせてもらいました。※写真は吉武氏の2011年の立体作品

髙:深いですね。あと絵に仏教をイメージさせるものが描かれているのですが、仏教が好きなんですか?

吉:仏教が好きというよりも、大学で古美術研究という授業があり、京都・奈良を回ってそれをもとに、大学で作品を制作しなければならない課題があったんです。自分を通してどういう作品を作っていくか考えた時、お寺などを周り、話を聞かせていただいた輪廻転生*¹¹の思想で、表現できないか考えました。この思想が自分の絵のコンセプトをしっかり固めてくれました。

*¹¹:輪廻転生。死んであの世に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わってくることを意味する。

 

久留米がモチーフ

 

吉:山とか川が出てくる僕の作品は、地元久留米を取材して耳納連山と筑後川をモチーフしています。佐賀にある祖母の家から、筑後川を通って、久留米に戻る時の風景です。

髙:凄くわかります!森がスタイルの作品はいつからですか?

吉:大学の卒業作品という事もあり区切りになる作品になると思ったので、自分を見つめ直した時、地元久留米を基にこれまで考えてきたことを表現できれば、悔いなく卒業できると思い作ったのがきっかけです。※写真の絵は吉武氏の卒業作品2008年「帰郷」

髙:あの風景はいいですよね。私も小さい頃、田主丸の祖母の家のピアノ教室に通っていたので、筑後川を車で通っていました。耳納連山、河川敷、季節によっては菜の花を、毎週観て育ちました。画家になって菜の花も描きましたし。

吉:あの花の絵ですか?

髙:はい。あの絵は筑後川の土手に咲いていた菜の花を採ってきて描きました。当時、菜の花を一緒に観て遊んだ、父との思い出もありましたので。小さい頃から、自然を観ていたとか自然のリズムが、自分の絵に影響を与えていますね。※写真の絵は髙木氏の2006年の作品、菜の花.『慈愛』

 

これから

 

吉:ダリのように人種も時代も越えたいので、海外含め多くの人に観てもらい作品として遺していきたいです。そして自分が死んだ後に、自分を知らない人が、自分の絵を観て、自分の様に絵を始めてくれたらと思っています。その為にも、もっと多くの人に知ってもらえるよう頑張っていきたいと思います。

髙:私は院展*¹²や公募展への出品を通して、まだまだ未熟な精度や技術、進め方などを身につけていかなければと思っています。日本画の画材に慣れるのにまずは10年、そこからスタートだと言われていますから。おばあちゃんになっていい絵が描けるように精進することが目標ですね(笑)

*¹²:院展。日本を代表する日本画の美術団体、日本美術院の公募展(展覧会)の名称。

 

久留米とは

 

髙:食では、やっぱり大砲ラーメンですね!毎回、久留米最高!という気持ちで食べています(笑)。あとは石橋文化センター内の石橋美術館です。バレエの発表会、ピアノ、図書館、通う機会も多かったですし、自分にとって芸術を身近な存在にしてくれました。他には、植木のまちでもあるので、色んな種類の植木・苗木があります。今、住んでいる田主丸では、畑が野菜・果物だけではく、植木畑もありますし、絵を描くのには良い環境ですね。

吉:自分の絵の根本は、今の段階では森の風景なので、そのベースは耳納連山や、広がる空です。その世界を東京では余り感じることができないですし、久留米に帰ってくるたびに山、川、森があるので、今の自分の絵の原点はここにあるんだなと感じます。

行き詰って、いろいろ考えなければいけない時に、初心に立ち返るには一番理想的な場所ですね。現在は写真と記憶を辿り作品を作っているので、今回の帰省でも朝・夕と表情が違う久留米の風景を観て、今後の作品で表現していけたらなと思います。

 

PROFILE

 

吉武 弘樹 よしたけ ひろき

洋画家

1982年久留米市生まれ。2009年東京藝術大学卒業。卒業制作平山郁賞・台東区長賞。11年同大学大学院修了。14年個展「原風景」。15年個展「洋画展」、第4回青木繁記念大賞、西日本美術展テレビ西日本賞受賞。シェル美術賞展2015オーディエンス賞。16年第51回昭和会展昭和会賞受賞など。現在、東京を拠点に活動中。

 

髙木 梓帆 たかき しほ

日本画家

1985年久留米市生まれ。県立佐賀北高校芸術コース卒。2007年京都精華大学造形学部日本画専攻中退。同年伊豆町にて日本画家・矢谷長治氏に師事。15年第33回上野の森大賞展入選。第70回春の院展初入選。16年第71回春の院展入選。個展、グループ展等、活動を続ける。現在、久留米市在住。

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